若手弁護士の情報法ブログ

某都市圏で開業している若手弁護士が日々の業務やニュースで感じたこと、業務において役に立つ書籍の紹介等を記していきます。情報法・パーソナルデータ関係の投稿が多いです。

自粛要請に違反して飲み会等に参加し、新型コロナウイルスに感染した従業員に対する懲戒処分の可否

1 問題の所在

新型コロナの第3波の状況が深刻になっており、首都圏に緊急事態宣言が発令される見通しのようです。

年末年始の風物詩であった忘年会・新年会を取りやめた企業も多いでしょう。

会食によるクラスター感染が連日報道されており、企業としては従業員に対し、業務終了後にも居酒屋等に行くことの自粛を要請しているところも多いと思われます。

 

さて、そのような自粛要請にもかかわらず、従業員が酒類を提供する店に行って大人数で会食をして新型コロナウイルスに感染したという場合、懲戒処分を行うことは可能なのでしょうか。

 

2 検討の視点‐私生活上の非違行為と懲戒の可否

会食の場ではクラスターが多く発生しているとされています[1]

そのためには、自社の従業員の安全のため、また、感染した従業員が他の従業員にも感染させることにより事業活動がストップ・大幅な修正を余儀なくされることを防止する必要性はあります。また、レピュテーションリスクも無視はできません。

これらのことからすると、感染リスクが高い行動について、一定の要請をすること自体は認められるものといえます。

 

ただ、この要請がいかなる法的性質のものかは吟味する必要があります。

そもそも、懲戒処分とは企業秩序違反行為に対する制裁罰であり、労働者の行為により企業秩序が害されたことが実質的な根拠となります[2]

 

大前提として、従業員が企業の服務規律に従うのは業務中であり、業務時間外のプライベートな行動については、原則として企業の管理支配は及びません。よって、企業として、プライベートなことについて介入することは原則として許されません。

 

三上安雄・増田陳彦・内田靖人・荒川正嗣・吉永大樹「懲戒処分の実務必携Q&A‐トラブルを防ぐ有効・適正な処分指針‐」(民事法研究会)243頁によると、私生活上の非違行為について懲戒処分をすることができる場面は限られているとしつつ、懲戒処分を検討する場合、①非違行為の性質および情状、②企業の事業の種類、態様、規模、経済界に占める地位、経営方針、③労働者の企業における地位・職種、④その他の事情などを総合的に考慮して、企業秩序や企業の社会的評価への悪影響が相当重大であるといえるか吟味する必要があるとしています。

 

業務外のプライベートな飲み会も私生活上の行為なので、上記の判断基準が妥当するものといえるでしょう。

 

3 飲み会参加した結果、感染にしたことについての懲戒処分の可否

(1)文献での解説

それでは、本件のように、自粛を要請していたにもかかわらず、従業員がプライベートで飲み会に参加して新型コロナウイルスに感染した場合、懲戒処分は可能となるのでしょうか。

この点について、ピンポイントに解説している論稿は、私が探した限りあまり見当たりません[3]

 

小鍛治広道編集「新型コロナウイルス影響下の人事労務対応Q&A」(中央経済社35頁では、要旨、以下のように記載されています。

・再度の緊急事態制限や都道府県知事からの外出自粛要請等があった場合に感染拡大防止のための私生活上の一定程度禁止する指示を出すことは可能である

・ただし、当該指示に違反した事実だけでは懲戒処分はできず、当該指示に違反して旅行等をした結果、新型コロナウイルスに感染した場合には、「会社の名誉・信用を害する行為又はそのおそれのある行為を行った場合」等の懲戒事由に該当するものとして、懲戒処分を科すことは可能

・旅行やゴルフに行ったり、飲み会やカラオケに参加したりした結果、新型コロナウイルスに感染してしまった場合には、社会的な批判が浴びせられるおそれが十分にあり、会社の業務運営や社会的評価に悪影響のあるおそれがある場合といえるので、懲戒事由によくある「会社の名誉・信用を害する行為又はそのおそれのある行為を行った場合」に該当するものとして、懲戒処分を科すことは可能

 

この文献を前提とすると、首都圏で再度の緊急事態宣言が発出された状況で、大人数での飲食を禁止する指示を出したにもかかわらず、その首都圏内にある飲食店で飲食をした結果新型コロナウイルスに感染したようなケースだと、懲戒処分を科すことが可能となりそうです。

 

 

他方、労政時報3999号(令和2年9月11日)156頁以下は、懲戒処分には相当慎重なスタンスです。

すなわち、飲み会による飲食店の利用は、類型的に新型コロナウイルス感染のリスクが高い行為であるとしつつも、感染リスクは、感染拡大・流行の状況に加え、飲食店の形態、混雑の程度、利用時間、店舗および利用客における感染防止対策の有無・内容によって変動、軽減され得るものであり、こうした事情を問わず一律に飲み会を禁止する業務命令は、必要かつ合理的な範囲を超え、無効となる可能性が高いとしています。

結局、この文献では、そもそも懲戒処分が可能なのか、いかなる場合に可能なのかといった点が必ずしも明らかではありません。

 

(2)検討

上記2で述べた通り、私生活上の行動について懲戒処分を発動できるのは例外的な場面であるという前提をまず理解しておく必要があるでしょう。

そして、①非違行為の性質および情状、②企業の事業の種類、態様、規模、経済界に占める地位、経営方針、③労働者の企業における地位・職種、④その他の事情などを総合的に考慮して、企業秩序や企業の社会的評価への悪影響が相当重大であるといえるかといった各要素を総合考慮して、企業秩序の維持の観点から懲戒処分を科すことが妥当といえるかを慎重に検討すべきことになります。

 

それを踏まえると、本件のようなケースで、懲戒処分が有効となるハードルは高く、以下のような状況を考慮する必要がありそうです。

 

・感染拡大状況が深刻かどうか(令和3年1月5日現在でいえば、再度の緊急事態宣言が予定されている東京等の首都圏であれば満たすと思われます)

・当該深刻な地域内での行為であるか

・従業員が行った店が感染防止策を十分講じていたか[4]

・飲食時の態様(人数、十分な距離の確保の有無、飲食時以外のマスクの有無等)

・当該企業の職種や社会的地位(大企業で感染リスクが比較的高い業種である場合には、秩序維持のために懲戒処分有効の方向になるか)

・当該従業員の役職(一般社員より役員や管理職の方が懲戒処分有効の方向になる)

・感染ルートが当該店での会食であることの確度(感染ルート自体が不明であれば、そもそも懲戒処分を行う前提を欠く)

 

3 まとめ

このあたりはまだ裁判例の集積もなく、懲戒処分が有効となるか、またいかなる条件が揃えば有効となるかは不明確なところが多いです。

 

いずれにせよ、私生活上の行為であることから、懲戒処分を行うことはハードルは高く、「けしからん」という理由で安易に処分することの危険性は高いです。

懲戒処分を行うという場合には、合理性・必要性を十分に説明できるだけの根拠を揃えておく必要があるでしょう。

 

 

 

[1] 厚生労働省新型コロナウイルスに関するQ&A」問4 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00001.html#Q1-4

[2] 労務行政研究所編「新・労働法実務相談 第3版」(労務行政)307頁【千葉博執筆】

[3] 他に解説している記事があれば是非ご教示いただけますと幸いです。

[4] 例えば、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針(改正)に基づく外食業の事業継続のためのガイドライン」に沿った対応をとっているかどうか

2020年に読んだもので面白かった本(法律書以外)

コロナに振り回された2020年ももうすぐ終わりですね。

緊急事態宣言の影響で在宅勤務が多かったこともあり、今年は例年以上に本を読んだように思います。

 

備忘も兼ねて今年読んだ本の中で面白かったものを紹介していきます。

 

1 カミュ「ペスト」

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

 

おそらくこのコロナ禍がなければ手に取ることはなかったと思いますが、非常に面白かったです。

アルジェリアにある港町のオランで、突如としてペストが大流行し、医師や新聞記者、司祭、官吏といった様々な身分・立場の者達がペストにどう対処していくのかを描く群像劇です。

ペストという不条理な存在を通じて、人間はどうあるべきか、尊厳のある生き方とは何かを考えさせられました。

 

2 読書猿「独学大全」

 博覧強記の読書猿さんが、独学をテーマにその技法を徹底的に掘り下げた本です。

巷にあふれている、フレームワークやマニュアルを簡単にまとめたものとは全く異なり、先人達の人生や業績にも触れながら、学びとは何か、どう学べばよいのかについて、読書猿さんの膨大な読書量や知識に裏打ちされた解説が魅力です。

 

3 「新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書」

 新型コロナウイルスについての政府の政策や対応について、シンクタンクが調査を行ってまとめた報告書です。政府支持あるいは批判の立場ではなく、比較的中立的な視点で、対応のよかった点と反省すべき点を冷静に分析しています。

とかく印象的なのが、検証にあたって用いるデータの多さや多様さです。

感情論や精神論で論じてしまいがちなところですが、データを用いた客観的かつ冷静な

議論がいかに重要かという点を改めて思いました。

 

 4 沼田やすひろ「『おもしろい』映画と『つまらない』映画の見分け方」 

 タイトル通りの本です。鑑賞して満足感が高い映画、消化不良感やモヤモヤ感が残る映画というものがありますが、本書はそのよう認識を見事に可視化し、おもしろいと感じた映画にはストーリー構成にどのような工夫がされているかをわかりやすく解説しています。「千と千尋の神隠し」がいかにストーリー展開として完璧だったかという点の解説は腑に落ちました。

 

 5 鹿島茂「ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争」

 フランス革命の時代に活躍したナポレオン、フーシェタレーランの3名を主人公に、それぞれの並外れた情念にスポットライトを当てて歴史の流れを解説しています。

ナポレオンは熱狂、フーシェは陰謀、タレーランは移り気の情念をそれぞれ備え、激動の時代にあって各々がその情念を存分に発揮したという分析で、その切り口の面白さとテンポのよさで、比較的厚い本ですが、あっという間に読んでしまいました。

 

6 フランクル「夜と霧」

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 Twitterで相互フォローさせていただいている「ちくわ」さんがおすすめされていた本です。ナチスドイツによる強制収容所での壮絶な体験を、精神科医である著者の専門分野を踏まえて分析しています。

非人間的な扱い、あまりに過酷・劣悪な労働、多数の仲間の死といった、まさに地獄のような環境下にありながら、非常に冷静で淡々とした語り口がかえってその恐ろしさを浮き彫りにしています。

どんな環境にあっても人間の尊厳を保つことの意味を考えさせられる本です。

 

 

 

草野判事個別意見に見る法解釈の技法

この記事は裏 法務系Advent Calendarのエントリーです。

 

裏 法務系 Advent Calendar 2020 - Adventar

 

Legal ACには今回で3年目・3回目の参加となります。一種のお祭りに参加しているような感覚で、私自身楽しんで記事を書くことができますし、実務の第一線で奮闘されている方々の多様な記事を読めることは大いに勉強になります。

改めまして、幹事を引き受けていただいている@kanegoontaさん、ありがとうございます。

 

 

過去2回の記事は文献紹介でしたが、今回は趣向を変えて、草野耕一最高裁判事の個別意見を取り上げようと思います。

弁護士出身の草野判事は、昨年2月13日の就任以来、積極的に個性的な個別意見を出されており、一流の実務家・学者が集う最高裁判事の中でも強烈な存在感を示しています。

なお、最高裁のHPによると、最近で一番の趣味は「勉強」とのこと。すごい・・・。

 

草野判事は、企業法務の専門家であるだけでなく、「数理法務」として数理的技法を用いて法律問題問題を分析されることでも有名です。草野判事の「数理法務のすすめ」は確率や統計を法的分析に生かしていくという内容となっており、非常に刺激的な本なのですが、私自身数学的素養に乏しく、ほとんど理解できていません・・・(この本をスラスラと読み解けることが1つの目標です)。

 

数理法務のすすめ

数理法務のすすめ

  • 作者:草野 耕一
  • 発売日: 2016/09/09
  • メディア: 単行本
 

 

 第2小法廷で審理されている案件について、草野判事の個別意見が付されないか、密かに楽しみにしている法律関係者は多いはず(?)。

 

本記事は、個人的に印象に残った草野判事の個別意見をいくつか取り上げて、その法解釈や法的思考、アプローチを解説するとともに、法律実務家として日々の法律問題にとりくに取り組む際のヒントを考えていこうと思います。

  

1 最判令和2年10月9日:家裁調査官の論文によるプライバシー侵害が争われたケース

この判決については、以前ブログでまとめました。

wakateben.hatenablog.com

 

多数意見は、過去の判例を引用し、プライバシー侵害の有無について利益衡量の判断枠組みを用いました。

しかし、草野判事は、結論は一緒であるものの、その結論に至る理由が多数意見と異なる「意見」を述べ、以下のように論じます。

 

すなわち、被告である家裁調査官が本件プライバシー情報を知り得たのは、少年法に基づき本件保護事件を調査する権限を担当裁判官から与えられた結果に他ならないとし、本件プライバシー情報を学術目的等に利用し得る場合があるとしても、被上告人の改善更正という同法の趣旨に抵触する態様で本件プライバシー情報を利用することは許されないとし、一般のプライバシー侵害案件に使われる判断枠組みだけでは適切な評価を行い得ない事案であるとします。

 つまり、当該調査官は少年事件を取り扱う専門職の業務において本件プライバシー情報を入手したのであり、その情報の取扱いには厳しい制約が課せられていることを重視しています。

  そして、以下のように述べ、「本件公表における本件プライバシー情報の利用は、被上告人の改善更正という少年法の趣旨に抵触する態様」であったとします。

上告人Y1(注:調査官)は,本件保護事件が不処分により終了してから僅か半年後に本件公表を行っており,この時点において,被上告人は,高等学校の生徒として多感な時期にあったことがうかがわれる。また,原審の認定によれば,本件論文の記載内容は,被上告人に関する情報を有している読者が対象少年を被上告人と同定し得る可能性を否定することができないものであったというのである。しかも,本件プライバシー情報の中には,被上告人が幼年時代に経験した深刻な出来事等も含まれており,多感な時期にあった当時の被上告人が本件公表の事実を知ったならば,いかほどの精神的苦痛を受けたか,そして,そのことが被上告人の改善更生にいかほどの悪影響を及ぼしたか,これらのことに思いを致すと,おそれにも似た感慨を抱かざるを得ない。

 

つまり、草野意見は、従来の判断枠組みをそのまま使うことを戒め、専門家たる立場において極めてセンシティブな情報を取得したという点を重視し、多数意見の判断枠組みにのることを否定しました。

 

先例がある場合に、安易にそれに追従するのではなく、先例の射程を十分見極め、当該事案特有の事情がないかを慎重に検討することの重要さを示すものといえます。

 

 

2 最判令和2年9月16日:タトゥー施術行為の医師法違反の有無が争われたケース

 

判決は、彫師によるタトゥー施術行為につき医師法上の医行為を否定し、無罪としました。

 

草野補足意見では、(検察官が主張する)保健衛生上危険な行為と業として行うことだけで医業足りうるという解釈をとった場合、「タトゥー施術行為に対する需要が満たされることのない社会を強制的に作出しもって国民が享受し得る福利の最大化を妨げるものといわざるを得ない」とし、そのような解釈をとることはできないとしました。

 

タトゥー施術行為は身体への一定の侵襲を伴うものであり、危険性があることは否定はできないところです。この危険性を強調すると、医行為を広くとらえて医師でない者によるタトゥー施術行為もこれに該当して処罰をするという方向になりやすいです。

 

しかし、補足意見は、危険性という一部分だけにとらわれるのではなく、大局的な視点で国民全体にとってプラスとマイナスどちらが大きいのかを判断することを求めております。

つまり、これまでの歴史的な経緯からして、タトゥーが我が国の習俗として行われており、また美術的価値や一定の信条ないし情念を象徴する意義も認められており、そのようなタトゥー施術行為への需要が存在していることを重視します。危険性やデメリットに偏るのではなく、俯瞰的に、需要といったプラス面・ポジティブな面にもバランスよく目配せすることの大切さを示しています。

 

3 最判令和2年2月28日:業務中に第三者への傷害事故を起こした被用者から使用者への逆求償が認められるかが争われたケース 

判決は、被用者が使用者の事業の執行について第三者に損害を加え、その損害を賠償した場合には、被用者は使用者の事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防又は損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から相当と認められる額について、使用者に対して求償することができるとしました。

 

草野判事は、菅野博之判事と共同で補足意見を出しています。

その中で、使用者と被用者のリスク分担として、以下のような判示を行いました。

使用者は変動係数の小さい確率分布に従う偶発的財務事象としてこれに合理的に対応することが可能であり、しかも、使用者が上場会社であるときには、その終局的な利益帰属主体である使用者の株主は使用者の株式に対する投資を他の金融資産に対する投資と組み合わせることによって自らの負担に帰するリスクの大きさを自らの選考に応じて調整することが可能

 

この種のケースでは、とかく被用者が気の毒だ、使用者は保険も入っていないので逆求償に応じるべきといった感情的な視点が前面に出がちです。

 しかし、上記補足意見は、使用者が自家保険政策を選択すること自体は企業の選択肢として認めたうえで、それは被用者側の負担の額を小さくする方向に働くとの判断を示しました。

つまり、単に被用者が気の毒、自家保険政策は無責任といった素朴な感情論ではなく、事故時における企業と被用者間のリスク負担の問題という俎上に自家保険政策がどのように考慮されるかという合理的かつ冷静な判断がされています。 

 

4 最判令和元年9月6日:後期高齢者医療給付を行った後期高齢者医療広域連合が当該給付により代位取得した不法行為に基づく損害賠償請求権にかかる債務についての遅延損害金の起算点が問題となったケース 

 多数意見は、後期高齢者医療広域連合(上告人)は後期高齢者医療給付の価額の限度において被保険者の第三者に対する損害金元本の支払い請求権を代位取得するものであって、損害金元本に対する遅延損害金の支払請求権を代位取得するものではないとし、当該連合が請求できる遅延損害金は当該医療給付が行われた日の翌日から分であるとしました。そして、事故発生時からの遅延損害金を認めた原判決を破棄すべきとしました。

つまり、多数意見は、連合が後期高齢者医療給付を行った以前の期間に対する遅延損害金を加害者に対して請求できないのは当該遅延損害金の支払請求権が法*158条所定の代位取得の対象外であるからとし、原債権として事故時に遅延損害金が発生することを前提としています。

 

これに対し、草野判事は、原判決を破棄すべきとする結論は多数意見と同じですが、その理由が異なる「意見」を述べています。

本件の後期高齢者医療給付の填補の対象となった損害は、被害者が本件事故によって被った損害一般ではなく、被害者の特定の医療機関から特定の時期に医療役務を受けたことによって発生した金銭債務に関するものであり、このような損害に関しては、それが現実化してはじめて遅延損害金が発生すると解すべきであり、本件においてはそのような損害が現実化する都度後期高齢者医療給付が行われてきたとのことであるから、当該給付日以前においては遅延損害金が生じる余地はなかった

つまり、後期高齢者医療広域連合が後期高齢者医療給付を行った日以前の期間に対してはそもそも遅延損害金自体は発生していないため、同連合がこれを取得する前提を欠くと結論付けています。

 

不法行為による損害賠償債務は、損害の発生と同時に遅滞に陥るとされており、後期高齢者医療給付の填補の対象となった損害についても、このルールがそのまま適用され直ちに遅滞に陥ると考えやすいところです。

しかし、草野判事は、不法行為に基づく損害賠償債務の一般論に終始することなく、損害の項目ごとに冷静な分析がされ、給付がされて初めて遅延損害金が発生するとしています。

 

この草野意見からは、「不法行為に基づく損害賠償債務」といった抽象度の高い(そして粗い)事項で分析するのではなく、個々の債務ごとに細分化し、各々の特殊性や趣旨を踏まえた上での解像度の高い緻密な分析をすることの重要さを改めて感じました。これも、単に判例や通説にそのまま乗っかることの危険性に注意を促すものといえます。

 

5 最判令和2年11月18日:参議院選挙の定数不均衡の違憲性が争われたケース

このケースでは、令和元年7月21日施行の参議院通常選挙(選挙区間の最大格差は3倍)についての違憲性が問題となりました。

多数意見は、立法府において格差を是正するための努力はしている等として、違憲には至っていないとしました。

 

草野判事は、補足意見を述べ、条件付合憲論を論じました。

そこで、これまで投票価値の不均衡問題で用いられてきた主たる指標である最大格差は、最も小さな投票価値しか与えられていない有権者がいかに自分が不利益を受けているかを訴えるための指標として用いるのであれば格別、選挙制度全体における投票価値の配分の不均衡を論ずるための指標としてはいささか精度を欠いているとします。

そして、最大格差を補完する指標として、「ジニ係数」を用いることとし、その説明のために図表を挿入しています。

ジニ係数の改善を図るための制度改定は現実的には難しいとし、原則して合憲としつつ、「投票価値の不均衡が存在することによって一定の人々が不利益を受けているという具体的かつ重大な疑念・・の存在が示された場合にはこれを違憲状態と捉え直す」という条件付き合憲論を採用するとします。

まさに数理法務が全面に出た補足意見といえるでしょう。

 

恥ずかしながら、ここで述べられているジニ係数ローレンツ曲線については全く知識がありませんので、その正確な理解はできていません・・・

しかし、最高裁判事という法曹の頂点の一角が判決文の中で統計学の手法を用いて分析しているということからして、法律家としてやはり統計学をはじめとして数学、更には関連する諸科学についての素養も備えておく必要があることを痛感しました(勉強しなければ・・・)。

 

まとめ

以上の草野判事の個別意見を踏まえると、法解釈を考える上では次のような点が重要であると個人的に感じました。

 

・先例となる判例の枠組みに無批判に追随するのではなく当該事案が本当にその判例の判断枠組みを使えるかを慎重に見極める(1のプライバシー侵害の事件参照)

・素朴な感情論や正義論を前面に出すのではなく、リスクを冷静な視点で分析検討する(3の逆求償の事件参照)

・局部のデメリットやリスクに偏るのではなく、大局的・俯瞰的な視点で考える(2のタトゥー事件参照)

・その請求権が発生するそもそもの趣旨にさかのぼって考える(4の後期高齢者医療給付と遅延損害金のケース参照)

 

こうしてみると、いずれも突飛なものではなくむしろ当たり前の内容でしょう。ただ、この当たり前のことを、淡々と貫くことがいかに重要で難しいかということも痛感させられます。

 

弁護士として法律家として、草野判事のレベルには到底及びませんが、そのエッセンスは可能な限り参考にしていくとともに、今後も個性的な草野個別意見を楽しみにしています。

 

それでは、kaito.mさんにバトンをつなぎます。

kaitom

kaito.m

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情報ネットワーク法学会研究大会・雑感

情報ネットワーク法学会・第20回研究大会に参加しました。

第20回情報ネットワーク法学会研究大会 (in-law.jp)

 

本日報告をお聞きしたのは、佃 貴弘「信認義務に依拠したプライバシーの再構築
―専門家責任に基づく義務論として―」です。

大変興味深い内容だったので、備忘録もかねて気になった点をメモで残しておきます。

 

報告の内容としては、アメリカの法学者ジャック・バルキンの情報受認者論をベースとして、日本法の文脈でプライバシー保護の構成を試みるというものでした。

特に印象に残ったものが、個人(プライバシー保護の対象となる者)と直接契約関係を持たずに適法に情報を取得した事業者が、当該個人のプライバシー保護の義務を負う法的根拠として、情報受認者としての信認義務を持ち出すというものです。

 

契約上の義務違反という構成では、このケースについて適切な対処が難しいところであり、契約の有無とは別の次元で信認義務を設定するというアプローチには大変興味がわきました。

 

まだ検討すべき課題は多いということで、今後もこの議論が発展・深化していくことが予想されますが、このテーマについては関心を持って注視していきたいと思います。

 

関連する文献として、本報告でも挙げられていた以下のものは読んでおこうと思いました。

・斉藤邦史「プライバシーにおける『自律』と『信頼』」情報通信政策研究 3 巻 1 号(2019)73 頁

・曽我部真裕・山本龍彦「【誌上対談】自己情報コントロール権をめぐって」情報法制研究 7 号(2020)128 頁

家裁調査官の論文によるプライバシー侵害の損害賠償を否定した最高裁判決(最判令和2年10月9日)

 家庭裁判所調査官が、自身が担当した少年事件を題材として論文を精神医学関係者向けの雑誌及び書籍に掲載した公表したことについて、当該少年が原告となり、①当該調査官、雑誌の出版社、書籍の出版社を被告としてプライバシー侵害等による損害賠償請求訴訟を提起(第1事件)、②調査官の所属する裁判所職員が論文の公表を制止すべき義務を怠った等として国家賠償請求訴訟を提起(第2事件)したという、2つの事件について、10月9日、最高裁第2小法廷が判決を下しました。

 

 原審の東京高裁は、第1事件・第2事件いずれもプライバシー侵害による損害賠償・国家賠償を認めました。第2事件の原判決については以前ブログで記事にしています。

wakateben.hatenablog.com

 

 

最高裁は、原審を破棄し、請求棄却としました。

第1事件(損害賠償請求)の判決は

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/757/089757_hanrei.pdf

 

第2事件(国家賠償請求)の判決は

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/764/089764_hanrei.pdf

 

 

第1事件・第2事件、いずれも判旨はほぼ共通しておりますので、まとめて紹介していきます。

 

基本的な事実関係

・原告・被上告人である少年X(当時17歳)が銃砲刀剣類所持等取締法違反保護事件について東京家庭裁判所に送致⇒不処分で終了

・原告は、アスペルガー症候群を有するとの診断を受けていた

・被告・上告人である家庭裁判所調査官Yは、当該保護事件の調査を担当

・Y、本件保護事件を題材とした論文を執筆し、臨床精神医学に関する雑誌の公募論文に応募⇒採用されて雑誌に掲載・公表(掲載された時期は本件保護事件が不処分により終了してから半年後)

・上記掲載の7年以上後、YがXに対し、この公表を自発的に告知し、Xはこれにより公表の事実を知った

 

判旨(多数意見)

 まず、判断枠組みとしては、従前のプライバシー侵害に関する判例に準拠し、利益衡量を用いています。

 

プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し,前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するものと解される(最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁,最高裁平成12年(受)第1335号同15年3月14日第二小法廷判決・民集57巻3号229頁)。そして,本件各公表が被上告人のプライバシーを侵害したものとして不法行為法上違法となるか否かは,本件プライバシー情報の性質及び内容,本件各公表の当時における被上告人の年齢や社会的地位,本件各公表の目的や意義,本件各公表において本件プライバシー情報を開示する必要性,本件各公表によって本件プライバシー情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度,本件各公表における表現媒体の性質など,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を比較衡量し,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するか否かによって判断すべきものである。 

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 その上で、以下のようなあてはめを行います。

 まず、今回の公表の対象とされたプライバシー情報については秘匿性が高く重要なものとしています。

 

本件プライバシー情報は,被上告人の非行事実の態様,母親の生育歴,小学校における評価,家庭裁判所への係属歴及び本件保護事件の調査における知能検査の状況に関するものであるところ,これらは,いずれも本件保護事件における調査によって取得されたものであり,上記規定(注:少年法の各規定)の趣旨等に鑑みても,その秘匿性は極めて高い。また,被上告人は,本件公表の当時,19歳であり,その改善更生等に悪影響が及ぶことのないように配慮を受けるべき地位にあった。さらに,本件保護事件の性質や処分結果等に照らしても,被上告人において,本件保護事件の内容等が出版物に掲載されるといったことは想定し難いものであったということもできる。         

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 しかし、掲載された論文の持つ学術的な意義を重要視します。

上告人Y1は,社会の関心を集めつつあった本件疾患の特性が非行事例でどのように現れるのか,司法機関の枠組みの中でどのように本件疾患を有する者に関わることが有効であるのかを明らかにするという目的で本件論文を執筆しており,その内容が上記論文特集の趣旨に沿ったものであったこと,本件各公表が医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載する方法で行われたこと等に鑑み,本件各公表の目的は重要な公益を図ることにあったということができる。そして,精神医学の症例報告を内容とする論文では,一般的に,患者の家族歴,生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていたというのであり,本件論文の趣旨及び内容に照らしても,本件プライバシー情報に係る事実を記載することは本件論文にとって必要なものであったということができる。

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 また、論文内容はプライバシーについて配慮され、読者も専門家に限られていたとします。

本件論文には,対象少年やその関係者を直接特定した記載部分はなく,事
実関係の時期を特定した記載部分もなかったのであり,上告人Y1は,本件論文の執筆に当たり,対象少年である被上告人のプライバシーに対する配慮もしていたということができる。もっとも,被上告人と面識があること等から本件論文に記載された事実関係を知る者が,本件論文を読んだ場合には,その知識と照合することによって対象少年を被上告人と同定し得る可能性はあったものである。しかしながら,本件論文に記載された事実関係を知る者の範囲は限定されており,本件論文が医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載するという方法で公表されたことからすると,本件論文の読者が対象少年を被上告人と同定し,そのことから被上告人に具体的被害が生ずるといった事態が起こる可能性は相当低かったものというべきである。 

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 そして、本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するとまでは言い難いとして、プライバシー侵害を否定しました。

 

草野意見

 草野耕一判事は、多数意見と結論は同じであるものの、その理由が異なる「意見」を述べています。

 すなわち、Yが本件プライバシー情報を知り得たのは、少年法に基づき本件保護事件を調査する権限を担当裁判官から与えられた結果に他ならないとし、本件プライバシー情報を学術目的等に利用し得る場合があるとしても、被上告人の改善更正という同法の趣旨に抵触する態様で本件プライバシー情報を利用することは許されないとし、一般のプライバシー侵害案件に使われる判断枠組みだけでは適切な評価を行い得ない事案であるとします。

 つまり、Yは少年事件を取り扱う専門職の業務において本件プライバシー情報を入手したのであり、その情報の取扱いには厳しい制約が課せられていることを重視しています。

 

 そして、以下のように述べ、「本件公表における本件プライバシー情報の利用は、被上告人の改善更正という少年法の趣旨に抵触する態様」であったとします。

上告人Y1は,本件保護事件が不処分により終了してから僅か半年後に本件公表を行っており,この時点において,被上告人は,高等学校の生徒として多感な時期にあったことがうかがわれる。また,原審の認定によれば,本件論文の記載内容は,被上告人に関する情報を有している読者が対象少年を被上告人と同定し得る可能性を否定することができないものであったというのである。しかも,本件プライバシー情報の中には,被上告人が幼年時代に経験した深刻な出来事等も含まれており,多感な時期にあった当時の被上告人が本件公表の事実を知ったならば,いかほどの精神的苦痛を受けたか,そして,そのことが被上告人の改善更生にいかほどの悪影響を及ぼしたか,これらのことに思いを致すと,おそれにも似た感慨を抱かざるを得ない。

 多数意見が、論文の学術研究としての公益目的を重視したのに対し、草野意見は学術研究としての意義は特段重視せず、むしろYが家裁調査官としての職務において得た極めてセンシティブな情報を不適切に取り扱ったと評価しています。

 

 しかし、草野意見は、①公表によってXが論文の対象少年であることが他社に同定されたと認めることはできないこと、②Xは公表から7年以上経過した後になって、Yから自発的に告知されたことで公表の事実を知ったものであり、その結果と公表との相当因果関係を認めることはできないとし、公表によってプライバシー侵害の結果が現実化したということはできず、不法行為にはあたらないとしました。

 

 雑感

  本件は、プライバシー保護の要請と、学術研究の重要性・必要性とが衝突したといえる事案です。学術研究のためには、プライバシー保護が後退すべき場合があり得るでしょう。

 ただ、第2事件の原審・東京高裁の判決では、「非行事実、控訴人(注:原告のX)及びその実父母の成育歴、控訴人の家庭及び学校での生活状況、本件保護事件の経過並びに本件保護事件の処分の内容等の事項について、何ら事実を加工することなく、詳細に記述をしている」と認定されていることからして、プライバシー情報が相当詳細に記述されていたものといえるでしょう。

 学術研究のためとはいえ、そのような詳細な記述が本当に必要だったのかはやはり疑問に思うところです。

 

 多数意見は、「精神医学の症例報告を内容とする論文では、一般的に、患者の家族歴、生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていたというのであり、本件論文の趣旨及び内容に照らしても、本件プライバシー情報に係る事実を記載することは本件論文にとって必要なものであった」として正当化しています。

 ただ、例えば、日本精神神経学会の「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」では、「プライバシー保護に配慮し、個人が特定されないよう留意するとともに、原則として、十分な説明をし、理解を得た上で、同意を得なければならない」としています。*1

もちろん、これはガイドラインであり法的な義務ではありませんし、常に同意が必要ということもいえないでしょう。とはいえ、症例報告にあたっては、プライバシーに配慮した適正な対応が求められているといえます。

多数意見がいうように、「精神医学の症例報告を内容とする論文では、一般的に、患者の家族歴、生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていた」ということをもって、本人を特定できかねない詳細な記載を正当化できるのかは疑問に思います。

 

判断枠組みとしては草野意見に共感します。

しかし、草野意見についても、Xは、7年以上経過した後に論文公表の事実を知ったものであり、その結果と公表との間に相当因果関係を認めることはできないとした部分は疑問に思います。長期間発覚しなかったのでセーフとなると、Yは、家裁調査官として守るべき情報の取扱いに違反したものの、たまたま運が良かったために(Xがずっと知らなかったので)損害賠償義務を免れたということになりますが、果たしてそれは妥当なのか。

 

まだ考えが十分整理できていないところもあり、追って加筆修正するかもしれません。

 

 

 

 

家裁調査官の論文によるプライバシー侵害、国家賠償を認めた判決(東京高判平成30年3月22日、原審:東京地判平成29年2月13日)

10月9日、第2小法廷で判決が予定されている、個人的に要注目の事件です。

最高裁の開廷期日情報 

最高裁判所開廷期日情報 | 裁判所

 

1 事案の概要

 家庭裁判所調査官(便宜上「A」といいます。)が自身の担当した少年保護事件を題材として、精神医学雑誌の医学論文に応募し公表されました。これについて、当該保護事件の少年が原告となり、Aの行為によりプライバシー権等を侵害され精神的苦痛を被ったとして、大阪家裁所長等の職員がAを指導・監督する義務を怠ったとして慰謝料を求める国家賠償請求事件です。

 なお、一審判決で記載されている点からすると、原告は、本件とは別に、A個人に対する損害賠償請求訴訟を提起しているようです。*1

 

 主な争点は次の3つです。

①Aによる公表行為が国賠法にいう職務執行性に該当するか

②公表行為によるプライバシー等の侵害の有無

大阪家裁の職員によるAへの指導・監督義務とその違反の有無

 

 ただし、一審判決を読む限り、争点②について、国側の主張は「否認ないし争う」となっているものの、具体的な反論は皆無です。よって、論文の公表によって原告のプライバシーが侵害されたことは原告・被告間で特に大きな争いにはなっていないようでした*2

 

2 一審:東京地判平成29年2月13日

 結論:請求棄却

 

 東京地裁は、争点①については、Aの公表行為は家裁調査官としての職務とは無関係の個人的な行為であるとして、職務執行性を否定しました。

 そして、争点③について、Aが事前に家裁に提出した論文に関する執筆届(家裁職員による決済を経たもの)には、当該論文が添付されておらず、家裁職員において論文公表によるプライバシー侵害について具体的な予見可能性があったとはいえない等として、指導監督義務を否定しました。

 

 結局、争点②のプライバシー侵害の有無についての判断は全くされないまま、原告の請求を棄却しました。

 

3 2審:東京高判平成30年3月22日 

 結論:請求一部認容(30万円の慰謝料を認めた)。

 

争点①:職務執行性

 争点①は、一審と同じく否定です。

 

争点②:プライバシー侵害

 争点②のプライバシー侵害等は次のとおり認めました。

 まず、原告(控訴人)の特定可能性については、次のように判示し、肯定しました。

本件論文において、記載の対象となっている少年を含む関係者の氏名及び同少年の進学した学校名を記載せず、本件保護事件の係属時期も明らかにしていないことを考慮しても、控訴人の家庭環境、学歴の詳細又は中学校ないし高校における上記各エピソード・・・の全部又は一部・・・を知る者にとっては、記載の対象となっている少年が控訴人であることを特定することが可能であるというべきであり、そのような者は相当数存在することが推認される。

 

 次に、プライバシー侵害については、次のように判示し、肯定しました。

控訴人の非行事実、控訴人及びその実父母の成育歴、控訴人の家庭及び学校での生活状況、本件保護事件の経過並びに本件保護事件の処分の処分の内容等の事項について、何ら事実を加工することなく、詳細に記述をしているところ、・・・他人にみだりに知られたくない控訴人のプライバシーに属する情報であるというべきである。

本件論文に記載された内容は、控訴人の名誉を棄損し、又は毀損しかねない情報及び極めて私的な領域にわたる情報が含まれている上、情報取得の経路の面でも、家庭裁判所における少年保護事件の手続において得られたもので、少年を適正な保護処分に処する目的のために提供された情報であって厳格な管理が要請されるものであることを考慮すると、・・・本件論文に記載された内容を公表されない法的利益がこれを公表する法的利益に優越するというべきである。・・・本件論文に記載された上記プライバシー情報が、症例の理解に不可欠であるとの主張はない。 

 

 そして、本件公表行為は、控訴人のプライバシー権を侵害するものであって不法行為に該当するとしました。

争点③:家裁職員による指導監督義務違反

 一審では、執筆届に当該論文原稿は添付されていなかったという事実認定でした。

 しかし、東京高裁は、別件訴訟での尋問でAが原稿を添付したと供述していたこと、Aが、直属の上司に査読してもらっていた旨電子メールに記載していたこと等を根拠に、執筆届に論文原稿が添付されていたと認定しました。

 

 そして、次のように判示し、家裁職員による指導監督義務違反を認めました。

・・家裁調査官は秘密保持について特に厳格でなければならないとされている・・・のであるから、その表現活動が公務員の守秘義務に違反するものでないか、事件関係者その他の者のプライバシーを侵害し名誉を棄損するものでないかも、上記決済に際して確認の対象として含まれているものと解される。  

 

本件執筆届には本件論文の原稿が添付されていたのであるから、これを一読することによって本件論文が控訴人のプライバシーを侵害し名誉を棄損するものであることは本件執筆届の決済を行う本件大阪家裁職員において認識することができたというべきである。したがって、本件執筆届の名宛人である大阪家裁主席家裁調査官において、上記プライバシー侵害及び名誉棄損を防止するため、Aに、本件論文をプライバシー侵害及び名誉棄損のないように修正させるか、その公表を差し控えさせる注意義務があったというべきところ、同調査官にはこれを怠った注意義務違反が認められる。

 

 そして、慰謝料額については、侵害された権利の要保護性は高いとしつつ、論文が掲載された雑誌の読者は精神医学に関する医師や臨床心理士がほとんどであること等の事情を考慮して、30万円としました。

 

4 雑感

 一審と二審で結論が変わった事件であるだけに、上告審でどのような判決がされるのかは非常に興味深いです。

 

 本件は、金銭目的あるいは嫌がらせによるプライバシー侵害の事案とは全く異なり、学術研究の一環としての論文の公表という点が大きな特徴です。精神医学の学術研究である以上、一定程度は少年の背景や言動、疾患について触れざるを得ない部分はあるでしょうし、あまりにプライバシー保護に傾くと、この種の学術研究が委縮して精神医学の発展が阻害されかねない危険があります。

 ただ、判決文には論文内容はあまり詳細に記載されていないので推測になりますが、本件は、学術研究の必要性という限度を超えて、あまりに詳細あるいは不必要な私的情報が記載されていたという事案だったように思われます(一審で国側がプライバシー侵害について特に具体的な反論をしていないことからも、それは推認できます)。

 

 高裁判決が「(筆者注:被控訴人である国から)本件論文に記載された上記プライバシー情報が、症例の理解に不可欠であるとの主張はない」と指摘していることからしても、学術研究というそれ自体は真摯かつ極めて正当な目的のためであったとしても、その研究のために本当にその情報を盛り込むことが必要かという視点を持つことが重要ということでしょう。 

 

 なお、高裁判決の認定を見る限り、執筆届への論文原稿の添付について、国側は事実に反する主張を行ったことになりそうです(本当は原稿が添付されていたのに、添付されていないと主張した)。決済を担当した職員において論文原稿を確認したかどうかは、本件の判断にあたって非常に重要な意味を持つことから、国側としても論文原稿の添付の有無については十分確認したはずです。にもかかわらず、事実に反することを知りながら、原稿は添付していなかったと主張したのであれば、国として決して許される態度ではなく、国あるいは裁判所に対する信頼を失墜させかねません。この点は強い非難に値するのではないかと考えます。

 

*1:詳細は不明ですが、不法行為に基づく損害賠償請求と思われます。

*2:国側がプライバシー侵害を徹底的に争っていたのであれば、当然その主張の要旨が一審判決に記載されるはず。

【書評】「歴史に残る外交三賢人‐ビスマルク、タレーラン、ドゴール」

 

 

「世界史」と「外交」。このテーマにとても興味があります。

政治や外交についての素養はありませんが、交渉を扱うという点で弁護士業務と共通している部分もあり、かねてから関心がありました。

しかも、外交交渉の達人として世界史に残る人物として、ビスマルクタレーランのことはかねてから勉強したいと思っていたので、本書を書店で見つけたときにすぐに購入をしました。

 

著者は長年アメリカに在住しているライター。書籍からうかがえる思想としては、日本も核武装して自衛すべきというもののようです。

 

ビスマルクロシア遠征の愚を述べていた点について、特に印象的です。

 

ロシア軍を叩きのめして最も完璧な戦勝を成し遂げたとしても、そんな”完璧な戦勝”は何の役にも立たない。ロシア帝国は巨大であり、ドイツ軍がすべて占領して破壊できる国ではない。しかもロシアの冬は長くて過酷だ。・・・そもそも「戦争に勝つ」ということと、その戦争の後に「政治的に有利な立場を確保する」ということは、まったく別のことである(190頁)。

ナポレオンやヒトラーロシア遠征をして大失敗したことをみても、このビスマルクの冷静な状況分析と判断には驚かされます。 

 

 

また、タレーランは、裏切りを繰り返し、また本音を言わないなど、人間として危険な部分がある人物です。

しかし、ナポレオン戦争の敗北の後、敗戦国となったフランスにおいて、列強からその立場を守ったという離れ業で母国を救ったという点ではまぎれもない傑物です。

 

 

弁護士業務において、非常に厳しい状況での対応を余儀なくされる案件や場面ということはあります。

もちろん、タレーランの離れ業を簡単に実行できるものではありませんが、どんな不利な状況でも、何とか突破口を見つけて切り抜ける方法を常に考える姿勢の大事さを改めて感じました。

 

 

複雑な世界情勢における外交とはどうあるべきかを考える本としてとても面白かったです。