若手弁護士の情報法ブログ

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家裁調査官の論文によるプライバシー侵害の損害賠償を否定した最高裁判決(最判令和2年10月9日)

 家庭裁判所調査官が、自身が担当した少年事件を題材として論文を精神医学関係者向けの雑誌及び書籍に掲載した公表したことについて、当該少年が原告となり、①当該調査官、雑誌の出版社、書籍の出版社を被告としてプライバシー侵害等による損害賠償請求訴訟を提起(第1事件)、②調査官の所属する裁判所職員が論文の公表を制止すべき義務を怠った等として国家賠償請求訴訟を提起(第2事件)したという、2つの事件について、10月9日、最高裁第2小法廷が判決を下しました。

 

 原審の東京高裁は、第1事件・第2事件いずれもプライバシー侵害による損害賠償・国家賠償を認めました。第2事件の原判決については以前ブログで記事にしています。

wakateben.hatenablog.com

 

 

最高裁は、原審を破棄し、請求棄却としました。

第1事件(損害賠償請求)の判決は

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/757/089757_hanrei.pdf

 

第2事件(国家賠償請求)の判決は

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/764/089764_hanrei.pdf

 

 

第1事件・第2事件、いずれも判旨はほぼ共通しておりますので、まとめて紹介していきます。

 

基本的な事実関係

・原告・被上告人である少年X(当時17歳)が銃砲刀剣類所持等取締法違反保護事件について東京家庭裁判所に送致⇒不処分で終了

・原告は、アスペルガー症候群を有するとの診断を受けていた

・被告・上告人である家庭裁判所調査官Yは、当該保護事件の調査を担当

・Y、本件保護事件を題材とした論文を執筆し、臨床精神医学に関する雑誌の公募論文に応募⇒採用されて雑誌に掲載・公表(掲載された時期は本件保護事件が不処分により終了してから半年後)

・上記掲載の7年以上後、YがXに対し、この公表を自発的に告知し、Xはこれにより公表の事実を知った

 

判旨(多数意見)

 まず、判断枠組みとしては、従前のプライバシー侵害に関する判例に準拠し、利益衡量を用いています。

 

プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し,前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するものと解される(最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁,最高裁平成12年(受)第1335号同15年3月14日第二小法廷判決・民集57巻3号229頁)。そして,本件各公表が被上告人のプライバシーを侵害したものとして不法行為法上違法となるか否かは,本件プライバシー情報の性質及び内容,本件各公表の当時における被上告人の年齢や社会的地位,本件各公表の目的や意義,本件各公表において本件プライバシー情報を開示する必要性,本件各公表によって本件プライバシー情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度,本件各公表における表現媒体の性質など,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を比較衡量し,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するか否かによって判断すべきものである。 

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 その上で、以下のようなあてはめを行います。

 まず、今回の公表の対象とされたプライバシー情報については秘匿性が高く重要なものとしています。

 

本件プライバシー情報は,被上告人の非行事実の態様,母親の生育歴,小学校における評価,家庭裁判所への係属歴及び本件保護事件の調査における知能検査の状況に関するものであるところ,これらは,いずれも本件保護事件における調査によって取得されたものであり,上記規定(注:少年法の各規定)の趣旨等に鑑みても,その秘匿性は極めて高い。また,被上告人は,本件公表の当時,19歳であり,その改善更生等に悪影響が及ぶことのないように配慮を受けるべき地位にあった。さらに,本件保護事件の性質や処分結果等に照らしても,被上告人において,本件保護事件の内容等が出版物に掲載されるといったことは想定し難いものであったということもできる。         

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 しかし、掲載された論文の持つ学術的な意義を重要視します。

上告人Y1は,社会の関心を集めつつあった本件疾患の特性が非行事例でどのように現れるのか,司法機関の枠組みの中でどのように本件疾患を有する者に関わることが有効であるのかを明らかにするという目的で本件論文を執筆しており,その内容が上記論文特集の趣旨に沿ったものであったこと,本件各公表が医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載する方法で行われたこと等に鑑み,本件各公表の目的は重要な公益を図ることにあったということができる。そして,精神医学の症例報告を内容とする論文では,一般的に,患者の家族歴,生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていたというのであり,本件論文の趣旨及び内容に照らしても,本件プライバシー情報に係る事実を記載することは本件論文にとって必要なものであったということができる。

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 また、論文内容はプライバシーについて配慮され、読者も専門家に限られていたとします。

本件論文には,対象少年やその関係者を直接特定した記載部分はなく,事
実関係の時期を特定した記載部分もなかったのであり,上告人Y1は,本件論文の執筆に当たり,対象少年である被上告人のプライバシーに対する配慮もしていたということができる。もっとも,被上告人と面識があること等から本件論文に記載された事実関係を知る者が,本件論文を読んだ場合には,その知識と照合することによって対象少年を被上告人と同定し得る可能性はあったものである。しかしながら,本件論文に記載された事実関係を知る者の範囲は限定されており,本件論文が医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載するという方法で公表されたことからすると,本件論文の読者が対象少年を被上告人と同定し,そのことから被上告人に具体的被害が生ずるといった事態が起こる可能性は相当低かったものというべきである。 

※太字部分はブログ作成者によるもの

 

 そして、本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するとまでは言い難いとして、プライバシー侵害を否定しました。

 

草野意見

 草野耕一判事は、多数意見と結論は同じであるものの、その理由が異なる「意見」を述べています。

 すなわち、Yが本件プライバシー情報を知り得たのは、少年法に基づき本件保護事件を調査する権限を担当裁判官から与えられた結果に他ならないとし、本件プライバシー情報を学術目的等に利用し得る場合があるとしても、被上告人の改善更正という同法の趣旨に抵触する態様で本件プライバシー情報を利用することは許されないとし、一般のプライバシー侵害案件に使われる判断枠組みだけでは適切な評価を行い得ない事案であるとします。

 つまり、Yは少年事件を取り扱う専門職の業務において本件プライバシー情報を入手したのであり、その情報の取扱いには厳しい制約が課せられていることを重視しています。

 

 そして、以下のように述べ、「本件公表における本件プライバシー情報の利用は、被上告人の改善更正という少年法の趣旨に抵触する態様」であったとします。

上告人Y1は,本件保護事件が不処分により終了してから僅か半年後に本件公表を行っており,この時点において,被上告人は,高等学校の生徒として多感な時期にあったことがうかがわれる。また,原審の認定によれば,本件論文の記載内容は,被上告人に関する情報を有している読者が対象少年を被上告人と同定し得る可能性を否定することができないものであったというのである。しかも,本件プライバシー情報の中には,被上告人が幼年時代に経験した深刻な出来事等も含まれており,多感な時期にあった当時の被上告人が本件公表の事実を知ったならば,いかほどの精神的苦痛を受けたか,そして,そのことが被上告人の改善更生にいかほどの悪影響を及ぼしたか,これらのことに思いを致すと,おそれにも似た感慨を抱かざるを得ない。

 多数意見が、論文の学術研究としての公益目的を重視したのに対し、草野意見は学術研究としての意義は特段重視せず、むしろYが家裁調査官としての職務において得た極めてセンシティブな情報を不適切に取り扱ったと評価しています。

 

 しかし、草野意見は、①公表によってXが論文の対象少年であることが他社に同定されたと認めることはできないこと、②Xは公表から7年以上経過した後になって、Yから自発的に告知されたことで公表の事実を知ったものであり、その結果と公表との相当因果関係を認めることはできないとし、公表によってプライバシー侵害の結果が現実化したということはできず、不法行為にはあたらないとしました。

 

 雑感

  本件は、プライバシー保護の要請と、学術研究の重要性・必要性とが衝突したといえる事案です。学術研究のためには、プライバシー保護が後退すべき場合があり得るでしょう。

 ただ、第2事件の原審・東京高裁の判決では、「非行事実、控訴人(注:原告のX)及びその実父母の成育歴、控訴人の家庭及び学校での生活状況、本件保護事件の経過並びに本件保護事件の処分の内容等の事項について、何ら事実を加工することなく、詳細に記述をしている」と認定されていることからして、プライバシー情報が相当詳細に記述されていたものといえるでしょう。

 学術研究のためとはいえ、そのような詳細な記述が本当に必要だったのかはやはり疑問に思うところです。

 

 多数意見は、「精神医学の症例報告を内容とする論文では、一般的に、患者の家族歴、生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていたというのであり、本件論文の趣旨及び内容に照らしても、本件プライバシー情報に係る事実を記載することは本件論文にとって必要なものであった」として正当化しています。

 ただ、例えば、日本精神神経学会の「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」では、「プライバシー保護に配慮し、個人が特定されないよう留意するとともに、原則として、十分な説明をし、理解を得た上で、同意を得なければならない」としています。*1

もちろん、これはガイドラインであり法的な義務ではありませんし、常に同意が必要ということもいえないでしょう。とはいえ、症例報告にあたっては、プライバシーに配慮した適正な対応が求められているといえます。

多数意見がいうように、「精神医学の症例報告を内容とする論文では、一般的に、患者の家族歴、生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていた」ということをもって、本人を特定できかねない詳細な記載を正当化できるのかは疑問に思います。

 

判断枠組みとしては草野意見に共感します。

しかし、草野意見についても、Xは、7年以上経過した後に論文公表の事実を知ったものであり、その結果と公表との間に相当因果関係を認めることはできないとした部分は疑問に思います。長期間発覚しなかったのでセーフとなると、Yは、家裁調査官として守るべき情報の取扱いに違反したものの、たまたま運が良かったために(Xがずっと知らなかったので)損害賠償義務を免れたということになりますが、果たしてそれは妥当なのか。

 

まだ考えが十分整理できていないところもあり、追って加筆修正するかもしれません。