若手弁護士の情報法ブログ

某都市圏で開業している若手弁護士が日々の業務やニュースで感じたこと、業務において役に立つ書籍の紹介等を記していきます。情報法・パーソナルデータ関係の投稿が多いです。

事実認定と証明度について

 弁護士業務において事実認定・立証の問題は不可避です。

訴訟の場では、代理人として、裁判官に依頼者に有利な事実が認定されるよう主張・立証を尽くします。

また、企業内の調査や第三者委員会等の立場で証拠を踏まえて不祥事等を事実認定しなければならない場面もあります。

 

ある事実が認められるか否かを決めるにあたっては、どの程度の証明のレベル(証明度)に達しているかを考える必要があります。

 

本記事では、この事実認定におけるあるべき明度について、ざっくりとではありますが自分なりに考えたことをまとめていきます。

 

証明度とは

 証明度とは、審理及び判断を担当する裁判官が、ある事実の存否についてどの程度の心証を抱くことができれば、その事実が存在するものと認めてよいのか、また、その事実が存在するものと認めるべきなのかを判断する基準であると言われています。*1

 

証明度については、ルンバール事件判決(最判昭和50年10月24日)が、以下のように判示し、これが民事訴訟における証明度に関するリーディングケースとなっています(太字は私が付したものです)。

 「訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りる」

 

この「高度の蓋然性」とは、具体的にどの程度のレベルをいうのでしょうか。これについては、民事に関しては8割程度とされることが多いように思います。

例えば、ある文献では、「社会の通常人が日常生活においてその程度の判断を得たときは疑いを抱かずに安心して行動するであろう高度の蓋然性(8割がた確かであるとの判断)」とされています。*2

 

ただ、この8割程度という証明度のレベルは適切なものといえるでしょうか。

 

この高度の蓋然性すなわち8割程度の証明度とする通説に対してはいくつか有力な批判がされています。  

 

須藤典明氏の批判

証明度の高低を考える際には、誤判のリスクを考慮する必要があります。

また裁判官の須藤典明氏は、このうち、「積極的誤判」と「消極的誤判」の2つの誤判があるとします。

すなわち、「積極的誤判」とは、認定した事実が真実ではないということを指し、「消極的誤判」とは、真実であったのに誤って認定されなかったことを指すとしています。*3

証明度を高くするほど、積極的誤判の可能性は低くなりますが、他方で、消極的誤判をおこす可能性が高くなります。反対に、証明度を低くするほど、消極的誤判の可能性は低くなりますが、積極的誤判の可能性が高くなります。

  

 須藤氏は、これを踏まえ、高度の蓋然性には達しなくても、明らかに優越する立証が射止められるのに無視して切り捨てることは正当化されないとし、「消極的誤判を無視した実体的真実は虚構であろう」と述べます。*4その上で、明らかにどちらかの立証が優越していることを認識できる程度の差があれば、事実を認定するのが適切であろうとし、あえて数字でいえば、「6・4」程度の差がある相当程度の蓋然性を採用すべきとします。*5

 

つまり、須藤説は、8割という高度の蓋然性ではなく、6割程度の相当程度の蓋然性があれば、当該事実を認定するに足りる証明に達したとします。

太田勝造氏の批判

太田教授は、証明度を合理的に決定する上で、統計学における偽陽性偽陰性の考え方を用います。*6

この偽陽性偽陰性は、上記の須藤氏の積極的誤判、消極的誤判とほぼ同じ概念です。

太田教授は、偽陽性の誤判の社会的コスト、偽陰性の誤判の社会的コスト双方の観点からあるべき証明度を検討し、数式で説明を試みます。

そして、偽陽性の誤判の社会的コストと偽陰性の誤判の社会的コストが同じ重さである場合には証明度は50%、偽陽性の誤判の社会的コストが偽陰性の誤判の社会的コストの4倍あると判断されるならば証明度は80%となるとします。*7

その上で、「デフォールトの証明度を高度の蓋然性とする日本民事訴訟の合理性や正当性には再検討の余地がある。多くの法領域において、果たして高度の蓋然性を証明度としなければならないほど、偽陰性の誤判の社会的コストと偽陽性の誤判の社会的コストとの間に4倍もの格差があるのかが疑問となるからである」とし、高度の蓋然性説をとる通説を非難します。*8

 

証明度をどう考えるか

私自身、法律の学習をし始めて司法修習を修了するまでは、当然のごとく通説通り高度の蓋然性の見解を支持しており、特に疑問を持つことはありませんでした。訴訟において証明がされたというためには、80%の証明度が設定されることに何ら違和感を感じませんでした。無意識のうちに須藤説がいう「積極的誤判」にのみ着目していたということでしょう。

 

しかし、弁護士登録をして実務で事件処理をしていく中で、明らかに有意な証拠を出ているのに、裁判所が「高度の蓋然性」を盾にその事実を認定しないといった例に何度か出くわしました。また、同業者や学者の中で、高度の蓋然性説に対する批判的な見解に触れるようになり、共感を持つようになりました。

 

私としても、積極的誤判を避けるあまりに高い証明度のハードルを課した結果、消極的誤判のリスクを高めるのは問題であり、積極的誤判・消極的誤判いずれにも配慮した証明度を考えるべきと、今では思っております。

「精密司法」というと聞こえはいいですが、結局それは消極的誤判に眼をつぶることになりかねないと思います。

 

よって、現時点では私としても、須藤説を支持し、少なくとも双方の立証に6:4程度の優劣さがあれば、事実を認定するに足りる証明度に達したとしてよいのではないかと考えています。

 

民事訴訟以外の場面での証明度

以上の証明度を巡る議論は、民事訴訟を前提としたものでした。それでは、企業内の調査や第三者委員会等の立場で事実認定する場合の証明度はどう考えるべきかという問題ですが、基本的には訴訟における証明度とパラレルに考えてよいと思われます。 

 

よって、原則としては、相当程度の蓋然性として6:4程度の有意差があれば、当該事実を認定してよいのではないでしょうか。もちろん、どのような証拠からどのような理由でその事実を認定したかという判断過程は十分示す必要があります。

 

なお、6.7割の証明度で足りるということは決して事実認定を適当にするということではありません。時間とコストの範囲内で最大限の証拠を集め(関係者からの聞き取り、書類や電子データの収集)、徹底的に分析をすることは当然の前提です。

 

犯罪事実の認定に近いものであれば、証明度はより高く、他方で不祥事が起こった背景について認定するものであれば(どうしても推測や仮定を伴うことになるので)そこまで厳格な証明度は求めないといった柔軟な判断はあり得るでしょう。なお、日弁連の企業等不祥事における第三者委員会ガイドラインでも、「法律上の証明による厳格な事実認定に止まらず、疑いの程度を明示した灰色認定や疫学的認定を行うことができる」とされています。

 

 

結論をまとめると以下の通りです。

 

民事訴訟における証明度は、原則として、相当程度の蓋然性として6.7割程度で足りる(8割以上までは求めない)

・訴訟ではない、第三者委員会や社内調査等における事実認定の場合も基本的には同様

・徹底的な証拠収集・分析は前提とし、ある事実の有無を認定するにあたっては、証明度を意識しておくことが重要。また、認定の理由付けについては必ず説明できるようにする

 

*1:須藤典明「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」(民事手続の現代的使命 伊藤眞先生古稀祝賀論文集)有斐閣342頁

*2:中野貞一郎他「新民事訴訟法講義 第2版補訂版」(有斐閣)p351〔青山善充執筆〕

*3:前掲345頁

*4:前掲345頁

*5:前掲341頁

*6:太田勝造「統計学の考え方と事実認定」(民事手続の現代的使命 伊藤眞先生古稀祝賀論文集)有斐閣)89頁

*7:前掲90頁

*8:前掲90頁